朝。
めざましテレビで「さようならは死語か」ってココ調してた。
さようなら・・確かに使わなくなったなあ。
意識的に使わなくなったのは、東北の地震から。
それは、朝、「さようなら」で別れて、その言葉が本当になるのが怖いから。そうだ。あの日から私と息子は、意識的に「バイバイ」も「さようなら」も使わなくなったんだ。
それで今はどうしているかというと、
保育園の玄関でタッチとハグをした後、「私:ではまた後ほど❤」「息子:はい、ではまたのちほど」そんなやりとりを。
言霊。
私は自分たちの使う言葉には、間違いなく力(想い、念のようなものかな・・)があると思っているので、言葉の使い方には特にここ数年とても気を使う。
一番実感しているのは、こどもたちにかける言葉での変化。
息子は恐竜の事が大好きで、恐竜に関する本をものすごい数読んでいるんだけど、恐竜に興味を持ち始めた頃から「恐竜についての説明が本当に上手ね〜。すごく詳しいんだね〜。恐竜の名前をどんどん覚えてすごいね〜!」そんなことをずっと言っていて、気がつくと文字をすらすら読み、人になにかを説明するのがとても論理的で上手になっていた。
娘には「ものづくりの妖精みたいだね。手先が器用でいい作品を作るね〜。素敵な絵を描くね。洋服のデザイナーさんみたい。すてきなデザインの洋服だね。」そう褒めていたら、絵を描くのもぐんぐん上達。
逆に娘に「もうちょっとわかりやすく説明して。ちょっと何言ってるかわからない。」って時々言ってしまうので、人に物事を伝えるのが苦手。私のせいね。
小さなことでもいいなと思うところを見つけてあげるのは、とってもいいことだと実感しているけれど、ここはだめだと思うところをダイレクトに指摘するのは、うちの子達にはきっと逆効果。
私が娘に「言葉を使うのが苦手・・」と思わせているんだろうなと猛烈に反省しているところです。
言葉のもつ力に怯えるのはまた違うのかもしれないけれど、いい言葉よりネガティブな言葉の力の方がより強力なんじゃないかという感覚が私の中にあって、だからやっぱり別れを連想させる言葉、人の心をむやみに悲しませる言葉は使えなかったりする。
人の噂話の中に長くいると心がざわつくし、人のことを悪くいうと、地に足がついていない、なんだか落ち着かない感覚になる。なかなかこの感覚についてはうまく伝えられないんだけど、「あ、このことについてこれ以上話しちゃだめだ」そう私の直感が働く。
ちょっとスピリチュアルな感覚?
でもこの感覚、私の大事にしたい感覚。