久しぶりの春休みなど

少し前、2年半ぶりに広島に帰省しました。

コロナでいろいろ心配ではあったものの、100歳の祖母の具合も気になるし、両親がずっと寂しがっているのも気になるしで。
その代わり、無駄に人に合わないようにとかいろいろ考えつつ。

結果、両親の嬉しそうな顔を見て、そして結果としては何事もなかったからこそ行って良かったと思った次第。

それもこれも、夫からの「会える時に会わないと、会えなくなってから後悔しても遅いから。短い時間でも会いたいって言ってくれるなら会いに行っておいで」の一言のおかげ。

これまでなかなかこういうこと言ってくれなかったから、意外と実家にも帰りづらかったんだよね。

孫の顔も見せられるなら見せておきたい。
将来がなかなかはっきりと描ききれない今だからこそ、帰省ひとつでこんなにも悩む。

今回は特に何がしたいとか、何にもなくて、ただひたすら両親と(できれば祖母と)顔を合わせて話がしたかっただけなんだけど。

かと言ってあちこち人のいる場所に行けるわけでもなかったから、子どもたちの有り余って溢れかえるエネルギーを消費すべく、私が子どもの頃によく行っていた場所で遊ばせたり。

特に何が楽しいのかってくらいなんてことない場所ばかりだけど、私が子どもの頃、いつもいた公園に連れて行ったり。
当時落ちても平気で怖いとか全く感じていなかった滑り台を、都会生まれの子どもたちがめっちゃ怖がって登れないのを見て不思議な気持ちになったり。
当時1人でもこの公園で遊んでて、そしたら急にでっかい野犬に追っかけられて走り回って遊具に登って野犬が飽きてどっか行くのを泣きながら待っていたこととか思い出した。
今じゃ野犬なんていないけど、私が子どもの頃は結構いたんだよなあ。
山でも自分より大きな野犬に襲われて、おじいちゃんに助けてもらったっけ。
野犬によく襲われる子どもでした笑
今でも大きな犬はものすごく怖いですが、犬は大好きです。
大きな犬も、怖いから近付かないけど、きっと可愛い子なんだろうってことは分かってますよ。
憎んではいません笑


広島にいた頃は、自分の世界が狭すぎて、自由を感じられなくて息苦しかった。

ものすごく過保護に(もとい、大切に)育てられたし、苦労という苦労もなく、学校の帰り道、男の子と帰っていたらすぐに近所のおばちゃんたちが母にチクるくらい目の行き届く環境で・・ww
よく言えば周りの大人に全力で守られていたから幸せ、安全にに暮らせていただんだろうけど、
あまりにも目に見えている世界が狭くて、自分が何者で、何ができる人間なのかも分からず。


大学に進学して兵庫で一人暮らしをし始めた時の開放感たるや。
容易に想像できるでしょう笑?

おそらく、1人でいることの不安と責任を感じずには、これまでの自分の環境に感謝すらできなかったんだろうなと、今となっては感じる。

ただ、両親にも誰にも言えない、苦しかった経験もたくさんあって、メンタルがものすごく強くなってしまいました。
その分、自分の周りにあるどんな小さなことにも感謝できるようになったのに、自分のことには鈍感になってしまって。



最近、「ロマンスは別冊付録」を久しぶりに見たんです(韓国ドラマ。見たことあります?)
そこで、離婚して、仕事もなくて、子どもの留学費用も払えなくなりそうな主人公が自分に対して謝るシーンがあるんです。

家族のためにと頑張ってきて、いろいろ我慢したり諦めたりすることにも慣れて、
でも夫に浮気されて離婚を突きつけられた。
頑張ってきたのに、誰からも認められない。
主婦をしてきたことで就職先も見つからない。
遊んできたわけじゃないのに。
家族のために自己犠牲も厭わなかったのに。

もっと自分を労ってあげたら良かったね。
もっと自分を大事に、愛してあげられたら良かったね。
ごめんねって。

ちょっとどこか、自分にも(きっと世のお母さんには多いんじゃないかな)同じようなところがあって。
家族のために必死に頑張って、自分のやりたいことなんて二の次で、とにかく子どものために必死。振り返ってみると、もっと自分の楽しいと思う生き方を優先しても良かったんじゃないかって。家事も育児も、仕事も必死で頑張って、妻に母に、いろんな役割がありすぎて、なんのための人生だって思う瞬間(よくドラマとかであるやつ・・)

もちろん誰のせいな訳でもなく、子どもたちが学校から帰ってきて、学校であったことや悩んでいることなんかをすぐに話せる環境の方がいいんじゃないかなって、ずっとフリーランスで仕事をしてきたのは自分。もちろん自分自身、意外と自分を律して生活ができることもあって、自宅で仕事をすることに向いてる性格だなと思うんだけど、娘が中学生になるタイミングで少し自分の世界がまた狭くなり始めてないか?と感じはじめて。
もちろん、コロナで人と会う機会が減ったことは大きい。
でも、もっと家族のための仕事じゃなく、自分のためにと思ったら、もう少し違うチャレンジもできるんじゃないかって最近思ったりして。

何が言いたいかというと、
今回の帰省も、夫の顔色を伺わずに(今回は快く送り出してくれたけどね)両親に会えたらどれほど自分の心が落ち着くかってことを優先した結果、想像以上にほっとして涙が出るほど嬉しかったし、

やりたいと思う仕事だけにフォーカスして、もっとたくさんの仕事を自分のためにしていこうと思って動き始めたら、なんだかまだ生活は大きく変わってないのにワクワクしてきたり、

広島に帰って懐かしい風景を眺めながら、自分で自分を縛っていた「家族から望まれていそうな理想の私」を一旦捨てて、自分が幸せだと思う生き方をしようと改めて思ったことで急に自由になったような気がするのです。

自由がないと思った土地で、自由になれるという不思議。
いつ帰っても喜んで迎え入れてくれる場所があるからこそ自分は自由に生きていけるんだなと感じたり。

コロナを広めないためにも、もちろんいろいろ控えるべきなんだけど、
でも、それで心が死んでしまうなら、自粛も意味がないなと思った、数年ぶりの春休みでしたとさ。

ここに行き着くまで、タロットで占ったもらったり、占いを読んだり、友だちと話をしたりしたけど、結局自分の心に耳を傾けて、自私を解放できるのは自分でしかないという事実。
40過ぎても、まだまだいろいろ気づくことは多いです。