トイレの壁が崩れた時、家族の結束が固まる

cocomiu

 

娘の誕生日プレゼントを買いに行ったついでに、なぜか息子にも仮面ライダードライブの人形を買ってしまった、甘すぎる母です・・

我が家では、11月に入ると子どもたちがそわそわし始める。

11月には娘の誕生日があり、12月にはクリスマスがあって、いつもは財布のひもがガッチガチに固い母親の、唯一緩む時期であります(トホホ)。

普段からそうなんだけど、この時期になるとより頻繁に起こるのが、「トイレに人が普通に入ってくる現象」

トイレの鍵閉めればいいじゃんと思うでしょ?

閉めたら「鍵壊れるやろうが〜!!」ってくらいにドアノブをガシガシ動かして「開けて〜ん涙」てことになる・・何度かそれをやってしまっていて、既にドアノブはぐらついている訳ですが、これ以上壊す訳にはいかないので、トイレの鍵は閉めないことにしたんです。

そうするとね、そこにドアがないかのように、普通に開けられる訳です。

娘「ねえママ、私お誕生日にプレゼント決めたよ。レゴフレンズにした!」

 

それって、私がトイレから出てからじゃだめなメッセージ?

 

そしてまた別の日。

 

息子「ねえお母さん、今日って何する日?」

 

今日は保育園だって昨日から何度も言ってるよね?てか毎日保育園だよね?そう何度も確認するのってなに?

 

いっそのことトイレのドア取っちゃう?ってくらい、うちの家族にはドアの有無など無関係。

 

主人にいたっては、「トイレトイレ〜!」と入った途端、「漏れる漏れる〜!」と息子が入り、「もうパパ、どいてよ〜!」と言われる始末。

パパ「途中で止められるか〜!」

ものすごく急いでトイレから追い出され、「なんなんだ?」と腑に落ちない顔をしている笑

 

夫婦2人の時には当然のことながらこういうことってなかった・・

 

ああそうそう、トイレと言えば、私が娘を妊娠しているとき、お腹が重いのに普通に立とうとしてしまってぎっくり腰になったことがあったの。

当然のことながらトイレもお風呂も一人では行けず、すべて主人の手を借りて、お世話してもらっていました。

何年も付き合って結婚した訳ではないので、まだまだ恥じらいの多い時期でございましたが、あのぎっくり腰を期に、「もうなにも怖くないわ」という心境になったものです。

主人も、もう自分は老後、この人の下の世話でも何でもできそうだと思ったそうな。

6つも年上のくせに、なんで私が下の世話をされなあかんのか!とふと思いましたが、トイレのドアという壁が見えなくなった瞬間、「あ、もうなにも恥ずかしくない。私たちはファミリー!」という、変な結束が固まった訳です。

 

子育ては一種の修行のようで、子供が生まれたから完璧に私たちは幸せ!とはいきませんが、「なんやねん!」みたいな、イラっとする出来事も、人に話せば段々おもしろくなってきて。孤独と言われる子育ても、実は楽しいんじゃない?みたいな気持ちになってくる。

 

女の子は3、4歳くらいから段々と手がかからなくなって来て、日に日に楽になってきますが、男の子は日に日に手がかかって大変になってくる。先輩ママに聞いても、小学校入ってもしばらくは甘えてくるよ・・とのこと。

よく泣くし、遊びが激しすぎるし、いつも闘ってるし、かと思えば甘えん坊になって、16キロもあるくせに抱っこしろと泣き叫ぶ。

「男のくせにいつまでも泣いてんじゃねーぞ」と父親に呆れられて、「お母さ〜ん・・世界で一番好きだからぎゅ〜ってして〜涙」と私に泣きついてくる。

「好きだと言えばなんでも許すと思うなよ」と思いつつ可愛く思える日もあれば、疲れ切っててふざけんなと思うときもある。

でも、男の子は特に、この数年しかお母さん大好きだよと言葉や態度でめいっぱい表現してくれないもの。体力的にいっぱいいっぱいになるけど、今がきっと、数年後には「人生最高に幸せな時だった」と思える時間のはずなので、できるだけ苦しい思いにばかりフォーカスせず、おもしろおかしく受け止めて過ごしたいなと思うのでした。

 

育児ノイローゼになりそうなときは、決まって人と話をしていなかったりしていたなと、ふと振り返ってみて思う。

夫の悪口でも子育ての愚痴でも、笑い話にしちゃえば結構お腹にたまらないもんなんだよね。

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cocomiu (as a designer and an illustrator) lives in Tokyo with my husband,daughter and cats. likes taking photos, doing yoga and shopping.