先日、無事に明治神宮で娘と息子の七五三を済ませて参りました。
娘は私が着た着物を、息子は兄が着た袴を着て。
また彼らのこどもの代にも引き継げるように、大事に保管して・・
3歳の頃は着物が嫌だと泣いて泣いて大変だった娘も、さすがに喜んで着てくれました。今回、母が上京してくれたので、着付けは母にお願いして、髪は私が。
我が家は結婚式もお宮参りも七五三もすべて明治神宮。
ここで節目節目で感謝の気持ちをお伝えすると、また次の節目まで頑張ろうって気持ちになる。
結婚式の時、私ここで白いフクロウを見たの。
あれは幻だったんだろうか。
いや、確かに見た。
あのフクロウが今でも忘れられなくて、どんな辛いことがあっても「あの時白いフクロウが幸せになれるって言ってくれてた」と思い返しては「すべて良い方向へ進んでる」と心を持ち直してきた。
白いフクロウが実在しているのかどうかは問題じゃない。
確かに私はあの日白いフクロウを見て、私の人生、結果オーライだと確信した。
その直感が大事。
式典が終わり、早々に着替える息子。
OTUTUMIさんの蝶ネクタイをつけて、嬉しそう。
3歳の頃の娘とはまた違う、なんとも思い通りにいかない彼も、ただただかわいい時期があり、何をしても嫌だ違う!と泣く時期があり、おしゃべりが止まらず、寝ている時以外ずっとしゃべってる賑やかな時期があり、呆れるほどに甘えん坊な時期があり、思い通りにならないことは怒りをぶつけて思い通りにしようとする時期があり・・
あれ?ただただかわいいとだけ思っていた時期はほんの少しだったなと、今思い返してどっと疲れてみたり笑。
思い通りにならないことがほとんどだけど、まあそれもまた、私から生まれてきた子が自分とは全く違う人間だったという、普通のことなんだけどとっても不思議な現象で、だから彼がどんな人生を選び歩んで行くのかが楽しみだったりもして。
常に私に気を使い、気を使わないでというと気を使ってない風を装いながら気を使う娘。
いつだったか(2、3歳頃だったかな?)話してくれた「ママを助けるために生まれてきた」「ママが笑えるようにそばにいてあげたくて生まれてきた」と話してくれた、”彼女がなぜ生まれてきたか”というその理由は今も変わることなく、私が暗い顔をしていると、いつもこの話をしてくれる。
「大人になっても、ずっとママのそばにいて、看護士さんになってパパとママと・・たくさんの人のことを守ってあげられる人になりたい」
7歳を目前にして、彼女はそんなことを言っておりました(なんと立派ではないか・・)
だけど、志はとても立派なのに、なにせ勉強をしないのだ笑。
自ら勉強をする弟につられて机に向い、お姉ちゃん風を吹かせて弟に勉強を教える姿も、今はまだ微笑ましく眺めている私です。
私の願いは、ふたりが自立して、自分で選択し、自分の描く幸せな毎日を送れる大人になってほしい、それだけ。
社会にいつか彼らを返す日まで、自力で生きて行く術を、精一杯身につけさせるのが私のミッション。さて、お母さんとしてできることを、頑張るとしましょうか。