2月28日はミュウの命日。
前日から急に動けなくなって、翌明け方、眠るように旅立ったミュウ。
2年経ってもその日のことがまるで昨日のことのように思い出され、動けなくなったミュウをそっと抱えて「どうかちょっと調子が悪いだけでありますように。お薬もらったらすぐ良くなりますように」そう祈り通った道を通ると、未だに胸が苦しくなる。
よく縁があればまたミュウの魂と出会えるよ。
来世で会えるかもよ。
そう言われて「そうだといいな」と自分を慰めたりもしていたけれど、やっぱり今世でまだまだ長い時間を一緒に過ごしたかった。
生まれ変わってまた一緒に過ごせたとしても、やっぱり今、ふとミュウの気配を感じ、私の足に体をすり寄せてくるふんわりとしたモフモフに会いたい。
ペットロスは癒されなくなるものではなく、いなくて寂しいと思う気持ちを心の奥にしまって、なんとなくごまかして生きていく。そんな一日一日の積み重ね。いつどんな時でも思い出せばそれは残酷な程に鮮明で。
匂いや触った感触、足の形や歩き方、か細い声・・そのすべてが私の記憶からひとつとして削ぎ落とされることなく。
ただ、私はミュウを誰よりも大切にしてきたし、彼もきっと幸せだったと思う。
ミュウがいなくなって寂しいと思っているのは私だけではなく、家族全員がずっと彼を思って心を締め付けられる感覚を共有してくれている。そして、今そばで生きてくれているココちゃんや杏ちゃん、ナッツが静かにでも強く私を好きでいてくれる。
大事に自分の命を生きていかなくちゃいけないな。
ミュウがいなくなってから、よりそう思うようになった。
生きている。それだけでありがたい。
それだけで私も家族も幸せだ。
世の中には大切な命なのに人間の勝手で失われている命がある。
日本はまだまだ命に対する意識が低い。
当たり前のように殺処分という言葉がなくなり、どんな生きものも幸せに暮らしていける世の中になりますように。
まずは自分の身近にいる家族や友人から大切にしていきたいな。
きっと、身近な人を大切にできる人は、動物がむやみに殺されない世の中にしていく努力も同時にしていけるはずだから。
今朝、兄から送られてきた絵本のリンク。
犬や猫、その他の小さな家族は、無償の愛を注ぎ続けてくれるのに、どうしてそんな優しい存在に対してこんな残酷なことができるんだろう。
http://grapee.jp/32495
もし、小さな家族を受入れる覚悟と責任を持てる方がいらっしゃったら、ぜひ犬猫シェルターへ。